第7回目はromi-unieの総務・経理担当のみーちゃんについてお届けします。
romi-unieにはどんな仕事があって、どんなスタッフがどんな思いで働いているのか、お店の裏側にあるスタッフと働き方のお話です。romi-unieはほぼ100%女子という会社でもあるので、仕事を始めたばかりのスタッフからベテランまでいろんな立場での働き方もご紹介できたらと思っています。
みーちゃんとは
経理と総務を担当しています。短大の服飾学科から大手アパレルの経理部に勤務。20代半ばに調理師免許取得を目指して専門学校に通い、卒業後はイタリア料理店での修業も経験しました。「ル・コルドン・ブルー」の東京校でアシスタント、横浜校では経理職を経て、独立。カフェのお菓子づくりやフードユニット「ROMYMiER(ロミミエ)」で腕を発揮し、結婚、出産を機に主婦業に専念。2012年よりromi-unieの経理を担当。最初はパートで社会復帰。16年から契約社員、19年に正社員になりました。
フードユニットの相棒
ろみさんが鎌倉にお店を開く前、一緒に「ロミミエ」というフードユニットをやっていました。ユニットでは、貸しスペースや一軒家、海の家といろんなところでイベントを開いて、タルトやケーキなどを販売したり、200人以上のフードをつくったこともありました。
もともと、私の妹がろみさんと同じ大学の同級生で、家にろみさんが泊まりにくることもあって、うちの家族も娘のような姉妹のような感じで仲良くさせてもらっていたんです。私は80年代に雑誌の『オリーブ』や『装苑』を読んで育った世代で、ファッションの世界に憧れてアパレル会社に入社しました。ちょうどバブルの頃で、好きなファッションブランドに囲まれて、アフター5も楽しみながら、20代前半のOL生活を謳歌していました。
当時からファッションと同じくらい料理にも興味があって、90年代半ばのカフェブームに刺激されて、自分でもお店を開けないかと考えることが増えてきました。女の人も手に職という時代で、調理師免許を持っていればお店が開けるかなと、会社を辞めて、調理師学校に1年通いました。勉強しているうちに、もう少し本格的にやりたくなって、卒業後はイタリア料理店の門を叩いて、厨房でも1年弱働きました。
朝から夜中12時過ぎまで働いて、睡眠は毎日3、4時間しかない生活です。アフター5を楽しんでいたOL時代とは真逆の暮らしで、毎日ヘトヘトでしたけれど、仕事自体は好きで、必死に働いている自分も心地良かったんです。でも、しばらくして、ろみさんと妹が店に食事に来てくれたとき、ろみさんが私の顔を見て、「相当疲れきっている」と心配して、自分が当時勤めていたル・コルドン・ブルーでアシスタントを募集しているから来ないか、と誘ってくれたんです。
気がついたら、お菓子の世界へ
同じ職場になってから、ろみさんに「10年計画を立てよう!」と言われて、その計画のひとつにフランス留学がありました。フランス留学経験のあるろみさんがブルターニュの語学学校を手配してくれました。1カ月半、休職してもフランスで暮らせたのは、ろみさんの10年計画のおかげですね。帰国後もル・コルドン・ブルーでフランス菓子コースのアシスタントを担当しました。基礎から上級まで、デモンストレーションに立ちあううちに、気がついたら、料理よりも菓子の世界が楽しくなって「もっとお菓子をつくりたい!」という気持ちになっていたんです。
4、5年アシスタントを務めて、お菓子の基礎ができたので、次は、自分でお菓子をつくって卸す仕事を始めることにしました。鎌倉の「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」さんのお菓子をつくったのが、最初にお金をいただいたお仕事です。そのころ、2度めのフランス留学に行っていたろみさんから、家の黒電話に国際電話がかかってきたんです。「みーちゃん、帰国したら一緒にユニットをやろう。名前も考えているから」と。名前も決まっているって、さすがろみさんだな、と思って。それが2000年に始めた「ロミミエ」です。
店を構える前に、いろんなところでイベントをやって、名前を知ってもらおうという計画でした。フードイベントも当時はめずらしくて、ポップアップイベントの走りでしたね。その後、私は30代前半で、結婚、出産、育児に入って、ろみさんはお店を開いたので、一緒に活動することはなくなったのですが、子供が少し手を離れてきたころに、今度はromi-unieの経理の仕事を手伝ってほしいというスカウトの電話がろみさんからくるようになって(笑)。中途半端にやることができない性分なので、しばらくは断っていました。入ってからも、最初は短時間のパートで、忙しいときだけ多めに出るような特別な勤務体系にしてもらっていたのですが、子供の成長とともに、このままの働き方もよくないなと契約社員になって、コロナ前に社員になりました。
女性が長く働けるお店に
パート時代から数えると私も仕事に復帰して10年が過ぎました。スタッフの数は私が入った頃、30人弱でしたが、いまはパートさんも入れると70人ほどと、倍以上に増えました。スタッフの増加と並行するように、経理システムがクラウド会計に移行して、ペーパーレスなど業務の簡略化も進んだので、いまのところはなんとか一人でも回せています。総務的なお仕事では、スタッフとのやりとりにLINEを活用しています。みんなの状況が把握しやすくなってとても便利ですが、それでも1人対70人ですから、時々、自分の記憶力が怪しくなることもありますね。
私がパートで入ったころは、スタッフの平均年齢は30歳くらいでした。今は37歳になりました。店と一緒にスタッフの平均年齢も上がっているのは、社歴の長いスタッフが多いということで、働く環境がいいということですよね。10年、15年選手が10人くらいいます。女性が長く働けるお店をつくりたいという思いが、ろみさんのベースにあるからでしょうね。具体的なことも実践しています。若い女性の応募が多いので、結婚、出産で途中キャリアがストップすることも覚悟しないと採用はできませんから、結婚されている場合は、お子さんを考えていますかとか、少し立ち入ったことも聞くようにしています。働いて1年未満だと産休の保証は出ませんよとか、丁寧な案内をしていますね。
みんなにとってフラットな体制づくり
育児休暇中のスタッフには「ならし復帰」というシステムがあります。正式な復帰の前に体をならす意味で、2、3カ月前から数時間働く助走期間を設けています。特に製造の仕事は体力を使うので、復帰後すぐは出産前のように体が動きません。徐々に戻していける体制が必要です。また、部署長ともミーティングをして、お子さんが3歳になるころにはフルタイムで働けるような計画も立てます。小さいうちは病気も多いので、お母さんが働くのはたいへんだと思いますが、サポート体制は考えられているので、お母さんにやさしい会社だと思います。
ただ、お子さんのいるスタッフが優先的に土日休めるとか、子どもが病気で急に休まなければならなくなったとき、他のスタッフが仕事をカバーして当たり前とはろみさんは考えていないんです。そこはみんな平等です。勤務内容は各部署の長に管理してもらって、最後は私が見る流れになっていますが、みんなにとってフラットになっているなと思います。むしろ、フラットになっているから、何かあったときに「いいよいいよ、大変だから休んで」、と自然に相手を思いやる気持ちが生まれているような気がします。
それと似たところで、スタッフ間の結束力もあるな、とそばで見ていて感じますね。この夏、水漏れの工事で鎌倉のお店を2回、長期で閉めなければならなかったのですが、工事の日程が決まったら、早速、臨時の体制をスタッフが率先して組んでいました。人のことを思いやれるスタッフが多いのと同じように、会社のことも思いやれる人が多いんですよね。休めば売上はゼロですから、そこをどうカバーできるか、できることを各チームで考えて行動に移してくれます。長く勤務しているスタッフが増えて、そういうこともできるようになってきたのでしょうね。再来年で鎌倉のRomi-Unie Confitureがオープンして20年になりますが、組織として満たされてきている感じがしますよ。
romi-unieのスタッフはほぼ女性なので、結婚や出産、育児、介護と年齢ごとにやってくるステージに対し、働き方を見直す時期がどこかでやってきます。そのとき、キャリアを諦めるのではなく、この働き方なら続けられそうだと思ってもらえる体制があると安心ですよね。これからも女性が長く働ける環境を、スタッフのみんなとつくっていきたいですね。